チャーシュー麺を求めて

長野県は安曇野に起居する私がチャーシュー麺とその他の趣味について綴る

大町市 樹の実II

ここは地元市民に愛される名店。

ローマ表記のIIが素晴らしい。どうやら昔建て替られてIIになったらしいが、真相は如何に。

壁には地元出身芸人である、鉄拳のサインが何枚も飾られている。

らーめん、定食、うどん、洋食もあり、セットメニューが安く、ラーメンにカレー、チャーハン、カツ丼、唐揚げ、ハンバーグ、などを付け千円程で楽しめる愉快なラインナップになっている。

セットメニューが安いため、他のメニューが高く感じてしまいチャレンジが出来ないのは、私の器量の狭さ故なのだろう。

だか、今日はチャーシュー麺大盛り、それしか無い。

後悔は無い、が、やはり一杯千円を超える事、というより所謂、失われた30年の怖さを感じる。ただただ物価だけが、急に時計の針が動き出した様に上がっているこの現状、世界的に広まっている反出生主義に頷かざるを得ない。

そんな気分で啜るチャーシュー麺

な!う、うまい、このチャーシュー麺うまい。

この黄色い麺、かん水が効いてるってやつなのか、ストレートで少し粉感のある麺が素朴さを出している。

スープは普通の中華そば、だが納得できる普通さ。

そしてチャーシューが美味い、喜多方ラーメン坂内のような薄いバラ肉が十枚以上入っていて味もしっかりしている。肉、麺、スープの三角食べを思うがまま繰り返し、うめえ、うめえ、と食い終えた。

これは私の求めていたチャーシュー麺、ありがとう!と店を後にした。

後日、再訪しチャーシュー麺を所望、しかし、この日のチャーシューは茹でた味の薄いバラ肉にしか感じず、グニュグニュと肉を噛み締め家に帰った。ブレにも程があるやないか。

ありがとう、さようなら。

 

穂高 味しろ

安曇野、というとやはり北アルプスを頂き、空気も水もきれいで、また東京からもアクセスも距離も程良く、しかし派手なものも無いのでそれなりに客筋も良く、みな何となくぶらぶらし、そんでまあ風呂でも入って蕎麦でも食って帰る、そんな場所だ。

登山を嗜む方であれば、またちがう感想もあるだろうが、私は重い荷物を背負って坂道を登るのも下るのも好ましく思えない人間なので、登山愛好家から「そんないい場所に住んでいるのにもったいない、登山すべきだ」と、言われる事も少なくないが全く余計なお世話だ。

体育会系やポジティブ思考の方々の思い込みの激しさには辟易する、人間の価値を固定化し他人に強要する事を何ら恥ずかしむる事もなく、力任せの感想を当然のように言い放ち、己を正当化し他人を出汁に自己肯定感を高めている狂人達には何を言っても無駄だろう、あなたの言葉は届かないし、私の言葉も届かない。

それから温泉についてだが、質は基本的に良くは無い。

山上から十キロ以上に渡ってパイプ引湯しているお湯を素晴らしい、とは言い難いし源泉掛け流しを感じられる湯はもう無い。

そんな安曇野市穂高、観光道路でもある通称山麓線沿いにある、味しろ。

お客はそこそこ入ってるイメージだが数回しか訪れた事は無く、更に今回は何年ぶりかの訪店なので、味についての記憶はない。

そこで頼んだチャーシュー麺は見た目素晴らしく、ああ、いいな、と思えた。

しかし、言わせてもらえれば、というか、自分勝手にやっているブログに於いて、私はある意味神なので言わせてもらうが、見た目の悪いチャーシュー麺などまず無いのでは無いか。

丼があって、肉が同心円状に並び、隙間から少しスープと麺が見え、ねぎなり何なりがあったりなかったりで、余程の厚切りチャーシューでも乗っていなければ見た目の差異は大したこと無い、それがチャーシュー麺の良さでもある。

まあ、そもそも、見た目で不味いし食べても不味い、そんな飲食店があるなら行ってみたくもある。

それでここのチャーシュー麺だが、なんだかチャーシューがうまくなかった。

ホロホロ感があり最初は、お、と思ったが最終的に缶詰のツナのようなギュッっとつまる食感がありそれが不快に感じた。

煮方の問題なのだろうか、圧力鍋を使うとこんな食感になる気がするが、どうなんだろう。

またしても、私のフェイバリットとはならず、寂しい気持ちで店を後にした。

 

 

大町市 俵屋

 大町市は長野県の北側にある市だ。しかし長野県内は各地、山々で隔たれるので、単純に方角で地域を分ける事は難しく、県の北西に位置する大町や白馬の辺りは大北(たいほく)と呼ばれている。

 美麻や八坂といった過疎村と合併し、またスキー場があるくらいの降雪もあるため、市政上で基本的にコストがかかる地域であるが、白馬のようなブランドやインバウンド需要があるわけでもなく、多少の移住者はあるが駅前はシャッター街少子化のなかで中学や高校が統合されている、というような日本のどこにでもあるような問題を、抱えつつも無個性、といえる場所である。

 

 その町にあって、この俵屋は数少ない繁盛店である。

そういう町、だからこそ、の繁盛店というのがあるのかもしれないし、そもそも繁盛店になるかどうかなんて中身は同じでも立地で変わる、サイコロを振って出た目で決まるようなそんな虚ろげなもののような気がしなくもない、が、なぜこの店が売れてるのか?と聞かれればその価格の安さ、があると思う。

 

 数年前に店舗を改装し、ガラス張りでコンクリート剥き出しの造りになった事で味わいの薄れたこの店であるが、それでも円安、インフレ、国債ジャブジャブ、に苦しむ日本にあって未だにラーメン一杯、なんと440円で提供している事に驚く。また、ランチは平日、休日の別なしに、770円で、ラーメン、チャーハン、餃子3つという逆詐欺のようなメニューがあり昼時はかなりの割合の客がそれを求めている。当然、差額で各種ラーメンに変更も可能だ。

 餃子もウリで、持ち帰りはもちろん、近場のスーパーでも購入でき、地元の味、と認知される名店である。

 

 今まで幾度となく訪れたこの店で、初めてチャーシュー麺を頼んだ。

 安くて素朴なラーメンだ。優しいスープに普通の具材、攻めないチャーシュー。あっさりと何事もなく食べ終わった。

そんなもんだし、それでいい。

店の親父は今日も赤塚不二夫にそっくりで、店員の女の子達は若くて驚く程にみなかわいい。かといって気取る様子も媚びる様子もなく、淡々と接客をこなしている。

 

ここはチャーシュー麺だけを頼む店じゃあ無いな、と思いながら店を後にした。

しかしこの俵屋が良い店なのは変わりない。

また違う楽しみ方をしようと思い帰路についた。

 

豊科 いけまつ

ここは創業してからどれくらい経つのだろうか。

この辺りの景色に、この店が定着して久しい。

私の上司がここの味噌ラーメンを愛好している、という話を聞いた。しかし私はその上司が好きではない。まあ私のような底辺労働者階級に良い上司などというものはあまりいないだろう。

それは止しとして、この店に過去、2度訪れた中で私が感じた事、それは、食事の提供が非常に早く、混雑時でも5分程度でラーメンが提供されること。昼休み無しの通し営業をしていること。昼時はいつも混んでること。価格が全体的に50円くらい高い感じがする。それだけだ。

 

そして今日が3度目の訪店だ。

私はラーメン屋ではチャーシュー麺しか食べない事に決めた。すると特定の店に行くのでは無く、色々な店のチャーシュー麺を食べよう、という気持ちが生まれた。

近場の店を廻って、兎に角、私のベストチャーシュー麺を決めよう。そう決意した。どこでもいいんだ店は、行っていない店ならどこでも。

 

豊科 いけまつ

 

開店直後の店に先客は3名程、いずれも男の一人客。水を持ってきた店員のおばあさんにチャーシュー麺の大盛を注文した。

チャーシュー麺の決意をしていなければこんなタイミングで注文することは出来なかっただろう。水を持ってきた店員にお決まりになったらお呼び下さい、くらいのことを言われメニューを見るも味噌か醤油か、チャーシューか肉味噌か、などと悩み、後から来た客があっさり、五目そばと言いあせった自分はドツボに嵌まっていく、といった風景が常だった。

その風景から開放された自分に酔い痴れていた。酔い痴れているうちに着丼。

 

チャーシューは5枚、丼いっぱいに広がっている。他に具は、メンマ、ほうれん草、ナルト、ネギ。完璧な布陣だ。

基本の具が5種類とはそう出来ることではない。

逸る気持ちのままにスープを一口飲んだ。

なんだか甘い感じがした。そしてなぜかほうれん草を一口食べてそれから麺を啜った。上質な冷凍麺のような食感だった。その時点で寂しい気持ちになった。それからチャーシューを食べた。見た目で気付いていたがそのチャーシューは腿肉であった。元々腿肉のチャーシューはあまり好みではないのだがここのチャーシューは腿肉特有のボソボソ感というか繊維感がやはりあり、そこは百歩譲ったとしても味付けが非常に薄く、それは肉でありチャーシューではなかった。私の求めているチャーシュー麺はここにはなかった。

感動の無い食事を続けた。その道中、胡椒を使おうと丼の奥に目をやる、するとそこにあったのはブラックペッパーであった。こういう素朴なラーメンには白胡椒だろ、という気持ちでブラックペッパーを振った。とても早く食べ終わった。

ご馳走様でしたと告げ1050円を支払った。

それから普段行かないパチンコへ行き6000円負けた。そのため買おうと思っていたカーテンは買えなくなった。一応、家具屋へ行ってみると柔道家の篠原がいた。

 

チャーシュー麺を頼み続けるということはこういうことの連続なんだろう。

 

 

始めに、私とチャーシュー麺

私は元来、優柔不断な性格であり、特に飲食店ではそれが発揮される。

メニューを一通り眺め、何度も行きつ戻りつしながら、結局自分が何を食べたいのか分からなくなっていく、俺はそういう人間だ。

しかしもう決めた。ラーメン屋では、僕は、チャーシュー麺しか頼まないんだ。そう思ったんです。でも、なぜそう決めたのかはあまり分からない。

だが、あなたも考えてほしい。なぜそのパートナーを選んだのか、なぜその職場で働いているのか、なぜ左側通行の国と右側通行の国があるのか、なぜ五百円まで硬貨で千円から紙幣なのか、なぜ焼き鳥と言って焼きとんを出す店があるのか、なぜ人参は赤いのか、なぜ木村政彦力道山を殺さなかったのか。

全てに答えを出せる奴は針を上げてくれ。

 

SNSというものが人の心を満たし、それ以上に蝕む。

そんな時代にあって飯の写真を撮るくらい当然だろう、むしろ飯の話をするブログに飯の写真が載せないなんて人を馬鹿にしてる、と言われるかもしれないが私はそんな洒落臭い事はしないで生きていきたい、笑いたいやつは笑え。俺についてくる奴だけついてこい!

そんな勇ましい事を言った尾崎豊覚醒剤をやりすぎて死んだんだ。

あるライブのアンコールで戻って来た時、明らかに様子がおかしい動画を見たがあれはもしかして?

 

そんなあることないことに思いを馳せながら、チャーシュー麺のことだけを綴ります。